IVORY

Fictions

小銃の行方

 詰問の声には慣れていた。やってもいないことをやったことにされ、恫喝なのか命令なのか分からない高圧的な声によって、わたしは決定された。
 ここでは上官の思惑が何にも勝った。死ぬか、殺されるか。選択は意味をなさない。その二択の行き着く先は同じだ。けれども上官は、それがさも温情のように笑うのだった。砂を噛むような思いとはまさにこのことだ、とわたしは思ったが口には出さなかったし、きっと表情にも出さなかっただろう。短絡が尊ばれるそこでは、内容よりもまず形式が優先する。
 そして、わたしは捨て置かれた。撤退を隠すために別の言葉が使われたが、いかにもだと思った。どのみち大した食べ物もないので、痩せ細った我が身は逃げようもない。それにどこに逃げろというのか。
 しかし、わざわざ縄でわたしを縛った上で彼らは逃亡した。蒸し暑く、何度も虫に刺されたが、もはやわたしは生きながらにして屍のような気分だった。
 このまま虫や鳥に啄まれて土に還るのだと、ぼんやり考えていた。自決用、と、それとなく渡された小銃には、わたしがつけた傷があったが、以前にそれを上官に気づかれて殴られたことがある。よく詰まるそれを発砲したことはなかったが、発砲しようとして暴発した者は見たことがあった。
 けれども形式を重んじる上官は、それを見なかったことにしてうやむやにした。その後の処理がどうなったかは分からない。興味もなかった。
 弾が一発だけ込められている、と誰かは言った。自決用なのだから、外さないようにしろと誰かが笑った。
 遠くの方で砲弾の音が聞こえる。密林の中で、奇妙な静けさに包まれたわたしは、その砲弾の音だけを聞いていた。一つ二つと数えて、分からなくなってもう一度初めから数え直す。
 音が近づいてくるにつれて、わたしは終わりを悟った。目をつむり、そのときに備えていた。今か今かと待ったが、急に音は止んだ。わたしは目を開け、しばらくの間、呆然と空を眺めていた。いつからか鳴らすことが無駄だと悟った腹が、ここぞとばかり大合唱を始める。諦めていたはずの生への執着が束の間の砲弾の雨で呼び覚まされていた。
 わたしは血が滲むのも厭わずに縄をほどきにかかった。あれほどしっかり結ばれているように思われた縄は、あっけなく細い腕を通って抜けた。自由になってみると不思議なもので、あれほどこの場から逃げようと切望していた思いがなくなっている。周囲を見渡すと、いくつもの凹凸が砲撃の激しさを物語っていた。
 わたしは歩いた。どこに向かえばいいのかさっぱりだったが、この場に留まることはせっかくの自由を無駄にしてしまうように思われた。砲撃の痕跡がない方向に、ふらふらと歩いていく。握りしめた小銃が、たった一発しかない武器が、最後の頼みの綱だった。
 渓谷に出た。開けた場所に出てしまった瞬間、殺されるとわたしは思った。けれども、弾は飛んでこなかった。
 水の音が懐かしい。上流から掘り起こされた土が混じっているのか、少し濁っていたが、水だった。向かうところもないので、わたしは渓谷の比較的確かな足場を辿って川まで降りていった。水をすくって口元に当ててみる。臭いはしない。少し濁っているが、飲めなくはないようだった。口の中の泥を落とし、血を落とした。汗で汚れた体を拭き、顔に水をつける。冷たかった。この冷たさが、張りつくように暑いこの土地のものには思えなかった。
 身を整えた後、わたしは衣服を探した。ついでにこれを洗ってしまおうと思ったところ、そこに置いてあったはずの衣服がないことに気づいた。誰だ、と声に出そうとして、悲鳴を飲み込んだ。
 男がいた。敵でも味方でもない、男。男は銃剣を取り付けた突撃銃を、わたしに向けていた。銃剣が震えている。明らかに民間人だ、とわたしは思った。幸いにも、彼はまだ小銃の存在には気づいていない。岩の間に隠した小銃は、少し手を伸ばせば届く位置にあった。
 危害を加えるつもりはない、とわたしは言ったが、通じていないようだった。震える銃剣がさらに小刻みに震えるので、わたしはやむなく手を上げた。手を上げると、男の緊張が少し取り払われたのを感じる。わたしはどう見たって痩せ細っており、ただでさえ栄養状態がさほど良いとはいえないこの男よりもなお、小柄な体格をしていた。
 男は何か言った。わたしが反応しないでいると、銃剣を突っつくように突き出すので、仲間がいないかどうか、武器を持っていないかどうかを問うてるのだと思った。わたしは相手を刺激しないように、ゆっくりと片手を下ろして一本だけ指を立てた。武器を持っていないことを示すために、手をピストルの形にし、持っていないことを示す。伝わっているような伝わっていないような逡巡の後、男は不意に後ろを向いた。
 ——わたしはその隙を見逃さなかった。
 岩陰に隠した小銃をわたしは手に取り、男がこちらに向き直る前に発砲した。濡れたそれが発砲するかどうか、そんな不安を抱く暇すらなかった。何としてもこれを撃たなければ、わたしの人生が終わってしまう。焦っていたが、わたしの射撃の腕はさほど悪いわけではない。男はこちらを振り返らないまま、小さくうめき声をあげて倒れてしまった。じわじわと胸から赤いものがこぼれていく。たった一発の銃声が、沈黙を切り裂くように密林の中を伝わったように思えた。鳥が、木々が騒いでいるように感じられる。
 男にはまだ息があったが、とどめを刺す前に誰かが駆けつけてくる恐れがあった。男の持っている銃剣を奪い取り、わたしはその場を立ち去った。わたしの背に向けて、瀕死の男が何かを叫んでいるような気がしたが、振り返る余裕などなかった。
 そこからの顛末をどのように語ればいいのか、わたしには上手い語句を持ち合わせていない。わたしは密林の中を彷徨い続けた。ときおり猿が嘲るようにわたしの前に現れ、そのたびにあの男から奪った銃剣で刺し殺していった。絶命を迎えるたびに、猿は口汚くわたしを罵るための叫び声を上げた。突撃銃には数発の銃弾があったが、怖くて発砲することはできなかった。今やわたしには明確に恐怖があった。日に日にそれが形を整えていき、わたしの背中を押すのだった。夜の闇に紛れて息を殺している間、わたしはあの男の末期を考えた。彼はいつまで生きたのだろうか、と。誰か仲間がやってきたのだろうか。すべてを撃ちきったあの小銃は、慌てていたためにその場に置き忘れてしまったが、あの小銃を見てあの男の家族は、子はわたしを恨むのだろうか。幻影のようなとりとめのない思いがつらつらと浮かんでは消え、わたしの睡眠を妨げた。
 状況が変わったのは、ふたたび砲撃の雨が降ったからだった。その執拗な爆撃に、わたしはたちまちに混乱に陥った。はじめは散発的に海から撃たれる砲撃が、この密林の重層的な土壌を抉っているだけだった。しかし、数十分もするとそれはスコールのような雨に変わった。あまりの音の激しさに、わたしは正常な判断力を失っていた。
 逃げ惑っているうちに、わたしの近くに着弾した。瞬間、わたしは吹っ飛ばされ、何か堅いものにぶつかった。そこでわたしの意識は一時的に完全に途絶えたのだった。
 目覚めると、わたしは野戦病院にいた。お世辞にも病院とは言いがたい不衛生な環境で、そこら中で蠅が飛び、患者たちの生命を吸い取っている。ふらふらとわたしは起き上がろうとしたが、背中に激痛が走った。衛生兵が駆け回っている。動けないことは分かったが、ここはどこなのかは分からなかった。何度か医者のような男がやってきて、わたしの状態を見ていった。それは文字通り見ただけで、そのまま医者らしき男は何やら指示を出してわたしを担架に乗せた。乱暴な手つきに、わたしは何度も悲鳴を上げたが、そんなものはお構いなしとばりに投げ飛ばされるようにわたしは別に場所に移動したのだった。
 それがわたしの国へ帰る経緯だ。ご存じのとおり、わたしの国は戦争に敗れることになったが、わたしは敗戦を生き延びることになった。